「ディアファーネス」(部分)/graphite on yupo-tracingpaper/625×880mm/2018


娘がアルザスのピノブランをひっさげてやってきた。癖のある香りは、この時期の白桃とよくつり合う。桃の爽やかな風味がピノブランの芳醇な香りをまとって、喉の奥へと可憐に消え去る。一種媚薬のような中毒性も孕んで余韻を効かせて消え去るその潔さに、一層追いの手が伸びるのをセーブするのが疎ましいぐらい。この蒸し暑く噎せぶりかえす晩夏に何と心地のいいワインだろう。ニヤリとほくそ笑んで娘を讃える。愛猫を撫でくりまわして娘は帰って行った。
蒸し暑い昼間とは裏腹に、もう、数週間前から夜には鈴虫が鳴いている。車窓から一瞬に過ぎ去る風景の中で、薄は穂を開く準備を整えている。入道雲は夏の終わりを予告しSNSでそれが拡散される。感覚のデジタルリレーで季節の変わり目はブルーライトのいたるところで気づいた人から掬い上げられ切り取られラインナップされる。空気中の湿度は大雑把に時を跨ぐ。跨げば次が来る。手当たり次第にレシピをさらって食べ物を作るのは、決まって私の意識的な現実逃避の現れだが、出来上がったフォカッチャやスープ、惣菜に、それ以上の責任はない。発想したものを片っぱしから形にする私と脳みその追いかけっこに飽きてきた頃、ようやく現実がつぶやく。だからわたしはこうべを垂れて、頷いて、瞼を重くゆっくりあげる。他所様が思っている以上に無自覚な行動が、ようやく時間差で自分に追いつく。ただそれを知る友人はその客観性で唯一私を救ってくれる。さあもうタイムリミット。愚図愚図として遅々と進まないすべてを潔く手放そう。