ドローイング「わたしたちはまったく違いすぎる似た者同士だ」graphite/625×880mm/2019


頂いたモレスキンのノートがもうじき終わる。日頃使うノートはこれひとつではないが、ここには制作プランを中心に折々の画と、この5年の間の触感としての言葉を徒然に書き散らしてある。10代の頃は枕元にノートを置いて寝る前には必ず言葉を残していた。そういうものが何冊も手元にあって、20代の制作に引っ張り出したりしていた。言葉は、いつも私の中から溢れていて、乾くことなどなかった。こどもを産んだあとはこども日記に変わって下の子がお腹にいるときも変わらず書いていた。それがいつから枕元に置かなくなったのか。おそらく紙と鉛筆がPCとキーボードへと変わった頃か。最近、こうして書いているブログを読み返してみて、私はいつも物事の薄皮を舐めるようになぞるだけで、それに対する自分の意見や感想を、自分の真ん中を、書き表していないとふと気づいた。それ以来、会う人に自分を表せというようなことを言われることが度重なり、確かに、対人すればよほど気心のしれている人以外は尚更、はっきりと本心を言うことなど、まず無かったように思う。いや、もしかしたら、本心を感情の蚤ですっぽりと隠していて自分でさえそれが何かなどわからずにいたのかもしれない。これじゃあ私の本心を伝えたい人に伝わるはずもないやと、今更気づいて独りごちた。



なかなか寝付けぬまま寝返りばかりを繰り返す身を起こして、早朝モレスキンを開いた。「他人を介入させない」「自分の声をきく」と書いてみた。すると、ホクホクと煮崩れる芋に箸をさしたように、一致団結した私の強固な心がゲシュタルト崩壊して、その欠片が言葉になって、にょろにょろとでてきた。幼い頃に鍵をした禁断の扉も気づけば触っていて、恐る恐る中を覗いたら一気に言葉が溢れた。私はその言葉を思考で濁さないよう気をつけながら、鉛筆の勢いに任せるままできるだけ精確に書いた。キーボードと違って鉛筆で記し始めると、ぼんやりした書き始めには思いもしなかった展開になって自分でもびっくりする言葉で締めくくられることがある。今までどこか作品に対して自分でも納得しなかった部分も、今朝のにょろが解決のヒントをくれた。散乱していたかに思っていたひとつひとつが、今朝の言葉の中にひとつ筋を見出して、脳内の伝達物質が光を放つように繋がっていく。
モレスキンのノートはあと6ページ。長いストーリーの最後には、伝えたい人に心の中を伝えられるようになりたい。