明の烏

真夏の早朝、バックミラーに映る朝焼けを背にして高速で山へ向かった。聞き慣れないラジオからは若手バンドミュージシャンが「朝の目覚めに合う俺のとっておき」というテーマで其々選曲した楽曲が流れていて、そのナンバーはどれも軽やかで、私の心も音を奏でていたから、夜明け前のまだ薄暗い車内で、踊る見えないふたつが、触れあって、まるでプリズムのように光って、それがいつにも増して滑らかな運転をサポートしてくれる。アップダウンの代わりに長い平坦なトンネルを山間に幾つか超えて、およそ峠の向こうへ出た頃には日出はすんでいた。後ろ遠くの空にドラマチックな朝焼けが残る。刻々と明ける真新しい今日に、クーラーを止めて窓を少し開ける。風が鋭く入ってくる。「ああ、山の匂いだ」。

インターを降りてまず山の中腹にある湯治場へ向かう。ここは朝風呂が5時から開いている。山間を景色を味わいながら運転して、目的の温泉へついた。朝の5時だから人もまばらかなと思っていたけれど、20分も過ぎていないのに、地元の方だろうか、たくさんのご老人がタオルを持って次々と入ってくる。簡素で大きい脱衣所で手早く衣服を脱ぎすて「おはようございます」と頭を下げながら、挨拶を交わして湯に向かう。湯は無色透明で柔らかい。温度もぬるめだ。大きな石造りの野天風呂がふたつ。手前の風呂にまず浸かってから奥の方へも入ってみた。が、ふたつの違いはよくわからなかったから最初に入った方へまた戻り、ちょうどいい高さの石に腰を下ろした。
露天にある植栽に、ちいちいと鳥が鳴く。湯気が光る。気持ちがいい。丸いへり石の上に座って、やる気なく吹く夏の朝風に当たる。火照りが覚めた頃また肩まで湯に浸かってを繰り返しながら二時間。たっぷりと風呂を楽しむ。露天を出入りする人々を、まるで河川敷の中州を眺めるように唯ぼんやりと無思考に瞼へ映し、細胞という細胞の隙間からすみずみまで湯が出入りして、ここ数ヶ月の私が残らず湯に溶けた感じがした。その間も朝の鳥は、ひっきりなしに鳴き続けていた。いくら無思考になっても音だけは身体の中へ入ってくるものだなと、湯に浸かりながら、私はおそらく朧げに知覚していた。

さずがに標高のあるこの地でも、日が昇るにつれ夏の日差しは強くなってくる。照りつける太陽に肌が当たると、容赦なくジリジリと皮膚を焦がし始めるから、待ち合わせまでの小一時間を、このまま過ごすわけにもいかない。私は日陰を求めて神社を探した。ここは古の城下町だから、城の周りにいくつか神社仏閣がある。その中に大星神社という思わずビールを連想しそうな楽しそうな名前があったので、少しのあいだそこに車を停めさせてもらうことにした。大きな鳥居があって、境内も、自然の趣を削ぐことなく、調和を保ちながら丁寧に手入れされている。気持ちのいい空間。神様へ間借りのお参りを済ませて振り向くと、木の枝に三羽の烏がこちらを見ている。羽ばたく音もなく、鳴くでもなく、いつの間にかその木に止まっていたので驚いた。私の住むアトリエの周りにいる烏たちよりもずっと痩せていて、静粛で聡明な佇まい。三羽が、それぞれ違う高さの枝に離れないほどの距離で、リズム良く止まっている。美しい秩序。私は、「少しのあいだここを借りるね」と今度は声に出して間借りのお願いを烏たちに言った。烏たちは嘴を開け、目玉を向け、少し首を傾けたままじっとこちらを眺める。まるで何かの化身のようだなと思った。美しい。しばらく気を取られてぼーっと眺めていた。(そうだ写真)とカメラを車から取り出して、写真を撮ろうとしたらもう、烏たちはどこかへ消えてしまっていた。ほんの30秒もかからない間に。そしてまた、音も立てずに。四方を見渡しても姿が見えず、私はまた、つままれた思い。あれはこの社主が覗いたのかと思ってしまうほど、翼の生えた鳥の気配を消していなくなった。烏たちとの数分間がとても印象に残ったので、やっぱり写真に残したいと思ってそれから暫く待ったけれど、それ以上烏たちが姿を見せることはなかった。日差しがかなり暑くなり始めたので諦めることにして、車ごと、もう少しのあいだ違う木陰へ移した。