Keidai-Art × Naeichi ’10

 

 

2010 obuse IMGP0499

Keidai-Art Naeichi
Nami Goto works「monotype Hannyashingyo」
CD case/oil print/text
2010.4/Nagano Obuse-town.Genshoji-temple


monotype 般若心経 / 2010

曹洞宗玄照寺境内アート×苗市
小布施 境内アート×苗市選抜展アート 部門優秀賞受賞作品 International Peace Art Competition2011受賞作品

版画の技法である「monotypeモノタイブ」は、意図的な行為と自然現象とが合いまった技法である。 油絵の具をアクリル板の上に版画用ローラーでのばし、そこにホワイトガソリンを垂らすと油絵の具とホワイトガソリンが作用して様々な模様をつくる。その様を紙に写し取るのである。最初に引く油絵の具の濃さ、ホワイトガソリンを垂らす位置や強弱、気温、湿度、紙質などが加わって多様な表情が生まれる。完成画面をイメージしながら私は作為的に手を動かしていくが、模様が生まれる現象は計り知れず、偶然的である。 般若心経は古くから悟りを得る経文として宗派をこえて親しまれており、その解釈は読み手により様々に表されている。私は前述のモノタイプを通した自然現象の中に般若心経との関係性を見いだす。在りて在り、無くて無く、全ての現象はうつりゆく。 紙に写し出されたものは、うつりゆく現象の軌跡である。その軌跡を凝視すると驚くほど美しいカタチや色、表情が存在している。私はその美しさに陶酔し、紙媒体でとどめておきたいと制作を繰り返す。けれど軌跡の一瞬を紙に写しとり残したとしても、それはもう本来の姿で手元にとどまることはない。油絵の具を含んだ紙はその油分をゆっくりと乾燥させ、色味も刻々と変化していくのだ。 現象は未知である、そして想像を超えた美と発見を私に与えてくれる。私はただ現象の中に在りそれを眺めそれを味わい、うつりゆく様を知る。 ここにモノタイプの中に般若心経の要素を見いだし、私がこの作品を制作した理由がある。 般若心経の下にかかれたことばは私のことばであり、般若心経の解釈ではない。 経の内容や、ひとつの画面として見立てた時の漢字に対し、違う角度からのアプローチが必要だと感じ、自身のことばを書き私が考える「バランス」をとった。

monotype-般若心経 / 2010 アクリル板、CDケース、中性紙、油絵の具、ボール紙 150mm×1280mm (般若心経は部分的に現代漢字に直した)