おそらく地方では山の開墾に時間的余裕があったのだろうなとここへ来て思う。逆に言えば、何故こんな都会でこんなにも坂が多いのかと最初は閉口した。「開拓の途中で一斉平坦にできようものなのになあ。誠に私見だが開国以来この旧村は急ピッチで作り上げられ、海辺の山々を平坦にする時間さえ、きっとなかったんだろう」などと、だんだんと途切れ途切れになる息と共に妄想も止んだ。近頃なんとなく神社へ行きたくて、地一体を護る氏神様の祀られてある神社を検索していた。そして今日遅ればせながら参拝することにしたのだ。「そうだ、御朱印帳」と今朝思い出して、早朝荷物の箱から探しあて、頁を開いてみると今年初詣に参拝した戸隠神社の御朱印で終わっていた。まだ数ヶ月前のことなのに、にわかに懐かしい。長く戸隠に住んでいたが御朱印をもらったのは初めてだった。共に長野を離れる娘と積雪の中社務所に並んで書いていただいた。今日はここへ押してもらうことになる。帳を閉じると合掌するふたページの寒暖差は記されない。日本っていう国はちっこくてなんて気象目まぐるしい。


本殿の佇まいはこの神宮についた名前のように伊勢の様。まるで遠見をはばかるかに地面から突き上げているこの高層ビル群の中にあっても、実に空気がよどみなく広く浄らかだった。物心ついた頃に住んでいた奈良の土地にも似た雰囲気。つくばいで身を清めて、仮住まいのご挨拶。時間をかけて参拝した。境内には開国以前の氏神様も場所を変えてここへ合祀されている。お参りしようと敷地に入ると、木影で休むようにじっとしている鳩がいた。小石がひんやり気持ちいいのか。ひとことふたこと話しかけても動かない。私がふたつの社をお参りし終えても同じ姿のままだったので、可愛く思って写真に収めた。そういえばまだ23の頃、鶴岡八幡宮へお参りに行った時にも鳩の写真を撮ろうと近寄って、鳩たちが一斉に飛び立ち、その中の一羽に羽で思いっきりぶたれたことがあったなと思い出したので、いささか緊張したけれども、杞憂だった。


帰宅しながら自宅裏の氏神様へもお参りするつもりだったが、あと少しというところで、革製サンダルの緒が切れた。
「ううっ…」出直せ、ということらしい。仰せのまま、暑くなり始めた日差しを避けながら家へと向かった。