「祭り」
最終回に結するため、この渋響が行われる半年前に開かれた展覧会で、私は今まで膨らませてきた風船を全て破裂させた。そこは信州小布施町にあるキノコ栽培に使用されていた廃屋の倉庫で、信州在住の現代美術家のグループ展の非公開インスタレーション会場だった。それぞれの表現が場を共有する中、膨らませたたくさんの風船は、まるで産み落とされた卵のようだった。風船は他の参画者の作品と関わり、微細に揺れていた。倉庫の前後に大きく開かれた扉があり、そこから中秋の風が吹くと風船はモチーフと擦れた音を僅かに発し、辿り着く先を求めるように壁面へ、その奥へと溜まっていった。どんなタイミングも、なんの罪悪感も無く、私は風によって壁面へ集まった風船全てを割った。音は、大袈裟に倉庫に鳴り響いた。そしてその破られた風船を残らず拾い集め、別会場である美術館の床に無造作に設置した。
年が明け、空気が澄む飯綱の山で私は風船の残骸を燃やした。小布施の倉庫で私が破裂させた行為は無慈悲だったが、それは事象は無常であるという普遍のルールに沿っているにすぎない。いのちの巡りを表すのに、薄情な容赦はいらない。悪意もない。私が現象で在る、それだけだ。残骸を自分の手で昇華させるため幾度か試行錯誤を繰り返した。風船はそれ自体でよく燃えた。
風船は、熱を加えると分子が離れ形状が変わる。火にくべ、ものの数秒で黒煙を吐き、焦げた硫黄臭とともにドロドロに液状化する。分子構造上燃やすと再び硬化することはない。溶けたゴムを昇華させるには炭化させるしかないように思われた。最終的に鉄板を用意し、そこで残る風船の残骸を全て焼き尽くした。火に溶け灰色に濁り、液状化したゴムを追うように広がった炎は、その液体を粘着質にした。独特な臭いが呼吸器官から私の体内に入り込む。炎が消えてからは、鉄板の下から火をくべ、さらに燃やし続けた。次第に粘着性を失い手で触れてもつかなくなり、表層をガラスのような黒い光が覆った。それでも尚、鉄板を燃やし続けると遂には黒光りしていた部分が白く灰になった。おおかた焼ききったと思った。
後日それを平面作品にするべく、小布施町立図書館にある版画用プレス機を借りて、火葬した鉄板を紙にエンボスした。3枚取れた。
これら一連の動作を含み、いよいよ私はこのインスタレーションの最終章を形づくる。渋響Ph:6での自身の会場である指月の床の間に、エンボスの版画を飾った。そして前回より一回り大きいサイズに黄色を加えた新しい600個の風船を膨らませ、部屋中に溢れさせた。長押しには並行して制作していた小さな平面作品を配置し、空間を見守る。搬入が済むと渋響は始まった。浴衣姿の人たちが部屋に流れ込み、気勢をあげて遊ぶ。その声に子どもたちがさらに歓喜して笑い声が部屋に満ちる。風船は、時に人の手によって天井まで舞い上がり、部屋の一方に集められ、ダイブされ、時々音を立てて割れ、来る人々を包んだ。残されるものなど何一つ無いのだと思った。
最後にこのインスタレーション初回に展示した言葉作品を記載する。
ただ風が吹くように
日が昇り 日が沈むように
あなたがただ存在している
光りの中に
ありのままの姿のあなたがいる
光りはただあなたを照らし
あなたはただ光りに照らされ存在している
光りは果てがなく 隔たりもなく すべてを照らす
闇もまたその中にありて その姿を知る
光りはあなたという存在を万物に換え
形に
時間に
空間に
次元に
解き放つ
あなたは木になり
あなたは風になり
あなたは鳥になり
あなたは私になる
はじまりや終わりはなく
向こう側やこちら側もない
あるのはただ存在という光り
渋響Ph:6「祭り」
天然ゴム風船約600個(クリア9インチ、ホワイト11インチ、13インチ、パールホワイト13インチ、パールイエロー13インチ)
「昇華」2014年制作/版画額装
「誕生のゆらぎ」2014年制作/木製パネル
2014年4月12日13日/臨仙閣 指月
撮影:町田哲也