物質的な強度と言ったけれど
一枚の絵を物質として捉えることと
画布に置かれた油や顔料を物質として捉えることと
ふた通りある。
今までは
素材の方へ注目していたけれど
昨日ふと
実際に画布に施した絵を見ていたら
一枚の絵画としての強度を垣間見ることができて
それは
今までのような素材の強度は存在しないのだけれど
儚さへの価値という形で付随して他者の手によって守られていくという
間接的な強度を知った。
素材としての強度があたかも観る者の没入もしくは介入を阻んでいるとするなら
それはわたしの求める絵画としての強度にはならないのではないか。
わたしが何世紀も死なずに物体として生きていくことはできない。
なにが強くなにが儚くなにを手放してなにを得るのか。
「絵を描こうとしないこと」
「欲しいものへ最初に手を伸ばすこと」
没入を妨げるものに
わたしはこれまで慣れすぎてきたのかもしれない。