カサブランカ
始まりは、誰かからもらった大輪のカサブランカを自室に生けた数週間だった。母が昔使っていた足踏みミシンを台にして私はしれっと花瓶を置いた。自室のただ薄暗い部屋の中で、強烈な芳香を放ち突然ここに存在することになった違和感を大きく含みながらも、自身の輪郭をしっかりと浮き立たせてカサブランカは白く咲き誇った。その頃の私は毎日を研究所とバイトと自室の行き来で繰り返す、ひたすら絵の世界にのめり込んでいるような10代最後の年齢だった。寝転がると見上げる位置に置いたカサブランカは、翌朝には私の日常に紛れ存在の違和感も気にならなくなった。それから私は数日おきに水を換え、特別感情を揺さぶられるでも無く花に触れた。カサブランカは意外と強かった。日中は誰もいない空気も動かないような部屋で、変らず女優のように自覚的に在った。それでももう、そろそろというタイミングで、花は終焉へ向う判りやすい姿を私に見せはじめた。真ん中に突出している雄しべが濡れたような艶めきを保ちながら、芳香は華やかさが薄れ、一層、深みの増した自らのエネルギー放出を残り香に託すようにみられた。以降私は水やりの頻度を減らし、水切りもせず、植物がゆっくりと枯れていく様を見守った。白く輝いていた花弁のフチに黄褐色のヨレがでてくる。暗がりにくっきりと残していた輪郭は、徐々に波状にうねってくる。生気が少しずつ減退すると雌しべが水分を無くし、花脈の筋が次第に露になる。花をしっかりと支えていた丸くスッとした茎もひとまわり細くなる。花びらに錆びたような斑点が増えはじめるといよいよ花脈も凹凸を深くして、花全体の印象ががらりと変わった。香りが匂いになる。潤いは蒸発する。干からびた花弁は生活の振動に落ち、雌しべが落ち、雄しべの正気もなくなる。薄暗いこの部屋の趣と同じ気配になったと感じたころ、いよいよ棒になったカサブランカを私は棄てた。美しかった。花は枯れるまで眺めていようと思った。
このカサブランカの時間は、ものが自在である時の美しさと、現象をそのまま見届けるというふたつの魅力を私に同時に放ったのだと思う。自分の感情を投影するのではなく、身体のなすべくまま在り、同時に現れる姿象を見つめていくというアンフォルメルを孕む私の絵画制作の指針が、この時うっすらと形成され始めたのかもしれない。だから油筆を手に取る時は私の中にカサブランカを感じた時にしている。どうなっていくのかわからない。予測ができない。まっさらな画面を前にしていつも「私はこれから何を描くのだろう」と思う。それでも私はそれを許してきた。完成までの過程は常に変容し、カサブランカが枯れるまで終わらない。
素材 そもそも
私は赤ん坊のころ粉ミルクを飲んでいたし、小学校から帰宅した後の飲み物といえばミロだった。出前一丁もそういえばよく食べていたし食卓にはいつも味の素が置いてあった。添加物が悪者でない時代に私は沢山のケミカルを摂ってきた。20代最初の頃インドへ行くきっかけがあり、何の知識もなくぽーんと飛行機に飛び乗り6ヶ月の現地での生活で私の舌は変わった。炭や牛糞でできた燃料で火を焚き、胡椒やスパイスは石で摺り潰し自然塩で調味する。当時住んでいた町や村のスパイス屋には殆ど化学調味料が売られていなかったので、刺激の少ない素材元来の味に慣れていった。以来日本に帰って来てからも何となくそういう志向が働き、煮干しや削り節で出汁をとるなど化学調味料をあまり使わない食生活になった。冷凍食品はアイス以外買った記憶が無く電子レンジも持っていない。でもだからと言ってとりたてて声を大にするようなこだわりはないのだ。絵画においてもこの後天的な性癖によって、できるだけ自然から成るものを使用したいと思っている。今回のスカラシップでは油絵の具を中心に兎膠やムードンなど下地素材を繰り返し注文した。絵画の素材は料理に似ている。上手く出汁がとれなくて何回失敗しようがだしの素には手が伸びないように、生キャンに前膠を失敗して途方に暮れても、グルーのみ塗布のものは兎も角アクリル系エマルジョンのキャンバス地を買う気持ちには何となくならないのだ。かといって私は完璧主義者ではないし、来るものは拒まないキャパシティや時々ジャンクフード祭りを開催する気まぐれも持ち合わせている。それでも偉大な先人たちの残したように油絵は仕方を間違わなければ何百年も持つものだし、透明で深い発色は美しい。昔からある素を扱って元来に触れたい私には、こうした選択はちょうどいいのだろう。しばらくは油絵の具の堅牢さとまつわる技術の学びを重ねて、表現の材には「そもそも」を大切にした素材選びを今後も続けていきたいと思っている。