ロスコの芸術論集を読んでいると、台風時に石を飲み込んで体重を増やして川底に身を沈めて急流に抗おうとする川魚の習性と似た身重な感覚にしばしばなる。ロスコの芸術論集といっても自分の作品に対する具体的な発言は皆無でむしろ、美術の歴史と系譜を分析したのちにあぶり出される芸術家のリアリティに焦点が当てられていて、一度読んだだけではわたしの思考と想像力ではほとほと理解に及ばないけれど、ときどき単発に放たれる勢いのあるワードが、飽和したわたしの思考をスッパリとすり抜けて、身重の石の形相で腹底にずしりと転がり落ちる。本の終盤はそれが連打される。それがまるで彼の絵のように大きくて重い。ロスコの思考の一塊だもの当然か。彼の没後年を経て息子が再編した貴重な言葉。これから幾度となく再読するだろうけれど、ああいまは眺望が必要だ。どこか遠くに視点を投げなきゃ俯瞰をしなきゃ。水面を覗く鳥にはなれても、わたしは魚にはなれない。