大きくなった息子と彼が生まれた地を久しぶりに歩いてまわった。自宅出産をした家、裏山の氏神様、金魚池、ホタルを見た小道。つれづれに歩きながら当時の思い出を話す彼の口からは、忙しく働いてばかりいた当時の私が知らないことだらけだった。よくここまで一人で歩いてきた、とか、この蓮池で葉っぱをとったときは結構危なかったんだよ、周りに柵がなかったから、本当にやばくて怖かった、とか、近所に住む幼なじみと秘密基地をここに作って、いろいろなことをして遊んだんだ、とか、親友と当時好きだった女の子の名前で相合傘を書きあったんだ、そうだ、あれまだ残ってるんかな、後で見にいこ、とか。自分のこどもなのに、彼のあの当時の日々の詳細を、わたしはちっとも知らなくて、見つめているベクトルが大人のわたしと小さな彼とでは違っていて当然だったのかもしれないけれど、同じ屋根の下で、少なくとも同じ時を過ごしてきたあのボリュームの中身は違う景色だったのだ。だとしたら、さらにそこに長女や猫3匹も加わると、同じ時間のなかで、色とりどりのヴェールが、それぞれのまなざしからまるでオーロラのように、透き通って、揺れ動いて、映し出されていたのかもしれない。そうおもうと、いま振り返って思い出す私の母親としての少し苦い一筋のおもいでに、豊かな色味が加わって、軽やかに変わった気がした。
ここから行こうよと、他所のお宅の横に続く細い道を抜けて、その神社の長い急な階段をのぼって氏神様へ手をあわせた。猛暑の18時。この山間部でも気温が高いままで、二人の汗が滝のように流れた。離れて暮らす息子が今日わたしを誘ったのには訳がある。けれど、息子の、無言のまま発しない溢れそうなおもいが、ゆっくり彼を成長させ、それを、どうか見守ってくださるよう、わたしは氏神様へ祈って、長い階段を降りた。先に降りた息子が、社務所のある広地で、改めて神社を向いて礼をするその姿があまりにも静かで、美しかった。目が奪われるままに写真に残そうとシャッターを押すわたしを、素早く彼もスマホで撮って、互いのレンズにふたりが残った。誰もがそうなように、私たち家族も様々な出来事をくぐり抜けてきた。不器用すぎて、壊れかけたその最中には思いもしなかった関わりの旨味のようなものを、今ようやく、実感する。母として彼と関わり合うことができることに、深々と感謝している。